~ 本場のティータイムを、岡崎で ~
イベント開催報告
◆2024.10.28 Keswickテーマトーク
 〈「家族」をテーマに語り合いましょう〉
第2回のテーマトークは、テーマトーク2回目ご参加の方と、当店スタッフ2人での開催となりました。〈家族〉というややデリケートなテーマでしたが、深刻になりすぎることもなく、じっくりと話し合うことができました。
【まとめ】
当然ですが、家族のありようは人それぞれです。仲が良く尊敬しあっている家族もあれば、いがみ合っている家族や、一見おだやかでも問題を抱えている家族もあります。家族は必ず仲良くなくてはいけないという幻想に苦しめられている人もたくさんいます。今回、様々なケースを語り合い、家族の難しさを確認すると同時に、そこで自分はどう生きていけばいいのかを再確認することもできました。
 また、時の経過と共に、家族の形態も家族への自分の関わり方も変わっていきます。それを、具体的な実例を話し合うことで深く理解できた気がします。とても実のある、貴重なお話ができた会となりました。
【詳細なご報告】
●まずは最初にお一人ずつ、これまでどういう家族構成の遍歴があったかをお聞きしました。
副店長の春名:兵庫県で生まれ、両親と姉との4人暮らしでした。18歳で大学進学のため名古屋に移ってから20年ほど一人で暮らし、その後に結婚して19年ほど妻と二人で暮らしています。両親とも普通の会社員で普通の家庭でしたが、縛り付けられているような閉塞感をどうしても感じてしまい、高校生の頃は家を出たいとずっと思っていました。一人暮らしは本当に気楽で、僕の性には合っていました。その後の妻との二人暮らしにも満足しており、楽しくやっています。
テーマトーク2回目ご参加のAさん:三重県の実家で、両親、姉、妹がいました。父方の祖母が同居している時期もありました。祖母は三男を産んだ後に夫を亡くし、その後は一人で男の子三人を育てました。保育士の資格を取り、社員寮で暮らしていたのが、定年後は住むところがなくなり、子供達の家を転々としていたのです。
 厳しすぎる家庭だったので、早く家を出たかったです。裕福じゃないのに世間体を気にしてバイトもさせてもらえず、でも遊びに行くお金もないし友達もいなくなるので、土日だけ強行突破でバイトしてました。子供の頃から、私は結婚もしないし子どもも持たないと決めていました。
 高校を出て一人暮らしを始めました。うちは外から見るといい家族に見えますが、離れて客観的に見るといろいろ欠落はあるのかなと思いました。姉が上、次女は下、のような感じで、それを見ている妹はいいところどりをしてちゃっかりしてくる。姉は気が強く、口喧嘩で人一人殺せるほどです(笑)。私と同じく次男だった父とはうまくいっていましたが、仕事で家をあけることが多く、それほど一緒にいる時間は長くなかったです。
 あらためて思うと、父も母も家庭を持つのに向いてない人だったんじゃないかと思います。今なら結婚するもしないも自由だし、事実婚もありますけど、両親の時代、他に選択肢がなかった。今の時代だったら、両親の結婚も周りから止められてたんじゃないかと思います。
 一人暮らしを始めたあと、姉と一緒に住んだことがあります。私が学生で、親もあまりお金を出してくれなくて、安く済ませる方法としてそうしました。姉は親の前でいい子にしていたぶん、私の前では荒れていて、家事もせずゴミも捨てに行かない。けっきょく、別々に暮らすことになりました。それからずっと一人暮らしで、もう十年くらいになります。今は好きにできるし快適だなあと思っています。この先もずっと家族を作らず、姪がかわいいので、この子がいればいいかなあと。
店長のあでりー:父、母、姉と共に、岡崎市で生まれ育ちました。小さい頃は同じ敷地内の別宅に祖父母がいました。本当に一般的な家庭で、波風立たずに過ごしてきました。両親はものすごく仲がいいということもなかったのですが、喧嘩するのを見たこともありません。父は団塊世代にしては珍しく台所にも立つし洗濯もするし、両親での家事の分担はできていました。父が子育ても協力したので、夜勤のある仕事についていた母は助かったそうです。いいお父さんだねと言われることは多かったですが、母も同じように働いて父以上に家事もやっているのに評価されず、それは時代の流れかなと思っています。
 父は人付き合いがうまく人ウケするタイプで、嫌なことは言わないし面白い。仕事の愚痴を話すようなこともほとんどありませんでした。母親はすごく真面目で、本来は面白いことを言う人なんですけど、真面目に考え込んじゃうタイプ。父方の伯母が外聞を気にする人で、実家(祖父母宅)に来ると、自分の子どもに「あれやりなさい、これやりなさい」と言うのですが、母はそういうことを全く言いませんでした。そんな両親のもと、私たち娘二人はのびのびと個性的に育ちました。
 祖父は私が小学校3年生の時に亡くなりました。優しくて、親に言えないようなお菓子を買ってくれたりして、いいイメージしかありません。いっぽう祖母は94歳まで生きました。戦時中に満州で苦労した人で、頭の回転が速く社交的でした。いい部分も見てきましたが、年を取ってくると、以前なら「こういうことをする人は嫌い」と言っていた同じことを自分がするようなったり、人が落ちていくところを見せてくれたので、受け入れられるかどうかは別として、勉強にはなりました。
 姉は私が24~25歳の頃に結婚して出ていき、いて当然だった人がいなくなる寂しさを教えられました。その後、結婚して19年ほどになりますが、楽しくやっています。
●その後、フリートークとなりました。 ※以下、敬称略
A:結婚して楽しいっていうのは、すごく幸せなことだと思いますし、久しぶりに聞いた気がします。周りで結婚している人からは、悪口しか聞かないので。
あでりー:多いですよ、そういう人のほうが。
春名:離婚も多いですし。
A:もう友達がどんどん離婚してます。「旧姓に戻りました」って言われて、「旧姓って何だっけ?」とか(笑)。子どもがいても平気で離婚しますし。
春名:いま、3組に1組くらいでしょうか、離婚するのは。
あでりー:看護学校に行っている時に印象的だったんですけど、18~19歳の子達と話した時に、「離婚したいっていう人、今は多いでしょう?」と聞くと、そんな若い子たちがみんな、うんうんってうなずいてるんですよ。この国は大丈夫かなって思いましたね。
A:アメリカナイズしてるとも言えますね。むかし、子ども達に「いちばん欲しいものは何?」と聞いた時に、第4位の答えが「ファーザー」だったらしくて、それだけ離婚率が高いんだと思いました。うちの妹夫婦も今うまくいってなくて、「だったらもう離婚したら」と私は言っちゃいましたけど。だから結婚して幸せですと言える人はすごいと思います。でも離婚した人がもう結婚しないと考えているとは限らなくて、中には婚活している人もいて、もうこりごりと思う人ばかりじゃないんですよね。
あでりー:病院に勤めているとき、乳がんで化学療法を続けている方がいて、その人がある時、「苗字が変わりました」と言って再婚されました。「まあ素敵」と思いました。
A:その方、亡くなるかもしれないのに。
あでりー:中にはそういう人もいるんですね。
春名:そういえば前回のテーマだった「仕事」も人生に関わることですけど、「家族」も人生を左右する大きな要素ですよね。
あでりー:自分のベースの感覚や常識は家族から影響を受けますね。人間は環境に左右されるけど、家族は環境そのものですから。
春名:人間がいちばん成長するところで関わる人たちですからね。
A:私も別の環境で育っていたら、別の自分になっていた気がします。私は自分が嫌いだし、自分のいいところを聞かれても、ないって答えちゃいます。
春名:僕がずっと思っているのは、「家族って素晴らしい」ということがどんなところでも言われるじゃないですか。でも、素晴らしい家族は素晴らしいけど、素晴らしくない家族も一杯います。だから家族に縛られる必要は全然なくて、嫌だったら出ていって全然いい。たまたま僕の場合はいい家族ですけど、そうじゃない家族もある。家族は必ず素晴らしい、仲良くしなきゃいけないということに傷ついている人っていっぱいいると思います。そこで、ぽんと家を出られる人はまだいいですけど、出られずに同居して、奴隷のようにがんじがらめになってて、でも親だから大事にしなきゃいけない、愛さなきゃいけないという状況は本当に悲しいものです。僕は、親に人生を台無しにされている人はたくさんいると思ってます。
A:いま、親ガチャって言われてて、子供は親を選べないんですよね。
春名:ただ、僕は子供がいなくて、さっき言ったような「親が駄目なら離れてもいいんだよ」というような話をたまにするんですが、そうすると今度は子育て中のお父さんお母さんが「自分は親として大丈夫だろうか」と悩んだりすることもありますね。でも僕は、そうやって悩むような人は大丈夫だと思ってます。悩むくらいの人はちゃんと考えてるでしょうから。そういう言葉が全く耳に入らない人がいて、そこが問題なんです。
 僕が強調したいのは、たとえば実の娘をレイプする父親なんかが実在して、そういう親でも愛さなきゃいけないのかということ。そこまで酷くはないにしても、子供に対する親の無神経な言葉が気になることがあります。「この子にはこんなことはできない」「うちの子供は駄目だ」とか平気で言う親がいますが、子供はそれを笑って聞きながらものすごく傷ついているんですよ。
A:私もそれはあって、傷つくというよりも、「ああそうなんだな」と客観的に思うし、毎回思うのが、「産んでくれてありがとう、育ててくれてありがとう」ではなく、「生まれてきてしまってごめんなさい、生きててごめんなさい」っていうことです。
春名:それは本当に悲しいことなので、なんとか親を切り離して考えることも必要でしょうね。ただ、完全に切り離すことができないからこそ、辛いんだと思います。他人だったら全然いいんだけど、さっきAさんのおっしゃった「産んでくれて」とか「育ててくれて」ということがどうしても切り離せない。だから厄介で大変なんです。
あでりー:この前テレビで見たんですが、亡くなった人の遺品整理をする番組がありました。メインとなる女性の父親がかつて家を出ていき、その後母親とともに苦労して生きてきました。その父親が亡くなった知らせが来て、もう関わりたくないと遺産相続をこばむのですが、彼女が小さい頃に描いた絵を父親が大切に持っていたことを知り、その絵を見てわだかまりが解けた、という内容でした。まさにそれが今話していた「親との絆は切り離せない」というところで、どんなに嫌で最低な親だと思っていても、そういう思いが出てきてしまうんですね。
春名:そう思っちゃうんですよね。そこが辛いところです。
あでりー:その気持ちに封をして関係を切り離したいのに、少しでも親のいいところがあるとそれにすがったり期待したりしてしまう。
春名:周りの人も、「どんな親でもいいところがあるんだからそこを見てあげなさい」とか言うでしょう。そこが辛いんですよね。最終的に自分がほのかに思うのならいいけど、周りから押し付けられることではないです。
A:確かにいいところもあるけど、これまでこういう酷いこともあったんだっていう……。他の人からしたら「なんだそんなことか」ということでも、本人にしてみればめちゃくちゃ辛かったんだよ、と思うこともあります。
あでりー:その時に周りの人をどれだけ傷つけたかなんて、他の人がはかることなんてできないし。
春名:親の言葉って本当にきついんですよね。それがいい言葉ならいい影響を受けるけど、悪い影響を受けたら本当にきつい。
A:うちの場合は「姉アゲ」で、「お姉ちゃんはできるのになんであなたはできないの?」とか「お姉ちゃんはこんなことしなかった」とかさんざん言われてきて、今ならぜったい飲食で働けば私のほうが評価されるのに、母はそうやって私が評価されることはおかしい、とどこか思ってるみたいで。私が「今度、意外と短期間でバイトリーダーになるかも」っていう話をしたら、母が「お姉ちゃんはもっと外で褒められる人なのにね、なんで褒められないのかしら」と言ったので、「ああ、この人は無理だ」と思いました。妹も同じ思いをしたけど、私がそこですごく反論するから一つクッションになると思っていたようで、ちゃっかりした性格になりました。
あでりー:うちの場合、たとえば私の母が年に1回か2回だけ実家に帰ってたんですけど、それだけで祖父から「お前はこの家より向こうの家のほうが好きなのか」と言われたそうです。
A:昔は、嫁いだらもうその家の人だから実家に帰れない、って風潮でしたね。
あでりー:祖母は、気に入ったことがあればそれが100%正しい、それ以外は却下、という感じでした。私は6人いた孫の中で一番気に入られていて、以前、とある高校のことを「あんなところ行く価値がない」とけなしていたのが、私がそこに入ることが決まったとたん、「あんないい高校はない」という風に変わりました。
春名:さっきの家族遍歴で言い忘れましたが、結婚して数年、名古屋で二人で暮らした後に、妻の実家のある岡崎に移りました。妻の実家には義父が一人で暮らしていて、同じ敷地内に祖母が一人で暮らす家があり、祖母宅のほうで僕ら二人が一緒に暮らしていました。その状態が3年つづき、祖母が亡くなったあとでまた3年ほど二人で暮らし、さらにそのあと岡崎市内の別のところに二人で引っ越して、今に至ります。
A:普通、嫁のおばあちゃんの面倒をみたくないというのが男の人だと思いますけど。
春名:実の家族じゃないから、気楽ではあったんです。
あでりー:私のほうは、祖母のいちばん強かった時代を知っていて、たとえば私の友達にも「これはやっちゃいけない」とか言っていた人が、自分が年をとって弱くなると自分が同じことをするようになったり。それが私は許せなくて、夫(春名)はそれを知らないから、弱いおばあさんとしか見えなかったんでしょうね。
春名:妻にとって祖母は、その言動で喜んだり傷ついたりする大きな存在でしたが、僕はその家にぽんっと入って、ただのおばあちゃんという感じでしたから、理不尽なことを言われても普通にケンカするだけで、そんなに辛いということもなかったです。一緒に住んではいたんですが、義父がうまくとりはからってくれて、ご飯は別々でしたし、祖母はだいたい自分の部屋にいるので、そこまで深く関わりはなかったです。Aさんは、今はどれくらいの頻度に実家に帰るんですか?
A:姪の面倒をみるのに月に何回か帰ってます。姉もそれにくっついてきたりして。両親も、絶対私達にはこんなの買わなかったというようなものをぽんと買ったりして、姪にとって私の両親は、優しいじいじとばあばでしかないです。
 それ以前も、母親が田舎の人だから、お盆正月はきっちり帰らないといけない、という考えでしたし、法事なんかでも、帰らないと親戚の人から「法事にも来ないなんて」とか言われるので、仕事で帰れません、というのが通用せず、帰ってました。
あでりー:家族のあり方と同時に、その土地の習慣にも左右されますね。
A:関東の人とかだと、「忙しいし自分の時間があるから」ってほとんど帰らなかったりします。
春名:僕は、今は年に1~2回くらい実家に帰りますけど、3年くらい帰らなかったことがあります。僕が34歳で会社を辞めてどうしようか模索している時に、やりたいことがあったんですけどうまく両親に伝わらなくて、僕の気持ちとして納得いかず、しばらく帰るのをやめてたんです。その後に結婚することになって、その話をするために帰ったのが3年ぶりくらい。その時もわだかまりはありました。
 親は、「この子はこういう子だ」とか決めつけたがるので、それがすごく嫌でした。僕は昔、体が小さくてひ弱な感じだったから、親から「あなたは体じゃなくて頭で勝負しなさい」とずっと言われていて、でも別に体力だって人に劣ってるわけじゃないし、と反感を持っていました。若い頃にフルマラソンに挑戦したりしたのも、そういう反感が理由でもありました。
A:決めつけて、こうじゃなきゃ駄目、とか。うちの例だと、姉妹はピアノが弾けるけど私は性に合わなくて、空手をやりたいと言ってました。高校の時に、親に何を言われてももう高校生なんだから、と空手を始めたら性に合っていて、子供の頃に始めていたら全国大会に行けたんじゃないかと思いました。
春名:僕は高校の頃には、そうやって自分で何かをやるっていうのは考えたこともなく、親に言われるままでした。それが嫌で、しがらみを離れたいと思ってたから、家を出たいと思ってたんでしょうね。でも、一人暮らしを始めた時にすごく覚えているのが、僕は父親の車に乗って名古屋に来て、父が荷物を降ろして帰って行くのを見送ったんです。それで部屋に戻ろうとした時に、「ああ、これでもうたった一人きりなんだ、ここに知っている人は誰もいないんだ」と思うと、それまで一人暮らしが楽しみで仕方なかったのに、一気に不安が押し寄せてきて、「どーん」と音がしたような気がしました。まあそれは一瞬で、それをずっとひきずっていたわけではないですけど、すごく覚えています。
あでりー:私は24歳でニュージーランドにファームステイで4ヶ月ほど行くことになった時、とくに反対はされなかったのですが、父から「向こうに行ったら何も手伝えないよ」と言われたのが印象的でした。それで、出発の時に空港まで送ってもらって、その時まで何も心配はなかったのに、いざ搭乗口に入って一人になった時に、同じような不安な気持ちになりました。一人きりで知らないところに行くのは初めてでしたから。ただ、それで逆に腹がすわった感じで、行ったら行ったで楽しかったです。
春名:そうそう。一回そこを通るってことに意味があるんだろうと思います。
あでりー:それでだいぶたってから母親に、ニュージーランドに行ってから強くなったねって言われました。一人になることで腹がすわって、変われたんじゃないかなと思います。
A:私は最初の一人暮らしが寮だったから、一人になるという感じじゃなく、逆に人間関係が大丈夫かなという不安がありました。オーストラリアには一人で行きましたが、最初はホームステイで子供とかいたので、どう子供達を手懐けるか考えてました。
春名:オーストラリアはどれくらいいたんですか?
A:一年もいないくらいですね、大学在学中に行きましたから。でも、やっぱり言葉が通じないし、最初は泣いてたりしてて、レジに座って落ち込んでたらモルモン教に勧誘されたり(笑)。結局入りはしませんでしたが、宗教はしょんぼりしてる時に入り込んでくるから怖いと思いました。
春名:自分を救ってくれるものと思ってしまいますよね。
あでりー:よりどころになりますもんね。
春名:やくざとかもそうだけど、家族とは違ってこの人たちなら自分のことを本当にわかってくれる、とか思って入ってしまうんでしょうね。これが本当の家族だという感じで。
あでりー:居場所というか、所属先を求めるっていう。
春名:何かに属したいと思うんでしょうね。僕の場合は属したいというのではなく、一人で生きていきたいという感じでした。
A:私も一人で生きていきたいです。
あでりー:自分もそっちかな。でも、みんな何かに属したがりますよね。最初に勤めた会社でも派閥があったらしくて、でも自分はそういうの気づかなくて、後輩からその話を聞いた時、「先輩はどこに属していると言われてるか知ってます?」と聞かれて、「無所属?」と答えたら、「そうです」と。(笑)
春名:僕の場合、家族に関する考え方は年とともに変わってはきたと思います。とくに結婚してからは、実家には夫婦二人で帰るようになって、それでかなり違ってきました。どうしても家族って生身の付き合いになって、こちらの弱いところを突いてくるようなところがありますよね。いちばん痛いところをいちばん鋭いナイフで刺す、みたいな。二人で帰ると、そういうところがいい意味で和らげられます。僕一人だった頃は、実家に帰ったその日は再会した嬉しさで仲良くいられるんですけど、二日目くらいになるともうしんどくて、ここにいると魂が淀んでしまいそう、早く一人になりたい、と思ってました。それがだんだんなくなったのは、結婚したせいかもしれません。
 それから、父親が2年前に亡くなったんですが、亡くなる前後の両親の姿を見ていると、やっぱり二人ともすごいなあと思うようになりました。それはたまたま僕の場合はそうだった、ということですけど。
 父がまだ生きている頃に母から言われて、びっくりしたことがあります。父親がずっと吸っていたタバコをやめたり、二人がいろいろと健康管理をしているという話の流れで、「自分達が健康でいることが子供孝行になるから」と言われて、ああ、そんな風に考えてるんだと驚きました。「子供孝行」という言葉は、なかなか出てこないと思いました。
あでりー:すごいなあと思うのは、客観的にみてこうしてほしいとこちらが思うことを、本人達が実践してたところですね。タバコだって、好きで吸ってるんだからいいじゃないという人も多いけど、それで体を壊したら子供に迷惑がかかると思ってやめられるところがすごい。お酒や食事などでもやめられない人のほうが多いし、そこまで考えが至らない人のほうが多いです。そこで、周りに迷惑をかけず、自分たちで自立して生きていくためにはどうしたらいいかを真剣に考えて二人で実践していたのが凄いと思います。
春名:前にテレビで見た、俳優さんが亡くなっていく前後の様子を撮影した番組があって、その人はずっとタバコを吸っていて自己管理ができず、周りに当たり散らして、でも子供にしたら自分の親だから断ち切れない。子供は大変だったと思います。
A:うちの祖父も同じように酒で死んだ人でした。でも難しいですよね。戦争を生き延びた人がその辛い体験を忘れるため酒や他のものに溺れるのは、わからないでもない。戦争を体験していない私からは何も言うことはできません。
あでりー:自分のやりたいことはやりたいし、でも他の人に迷惑をかけてまでそれをやるのかという線引は難しいです。
A:人によって線引は違いますから。
春名:そのあたり、うちの父親はうまくやってたなあと思います。自分の好きなようにやって周りに当たり散らしていたら、周りからも邪険に扱われてしまって、結局、自分が損をする。自分がちゃんとしていると、周りも受け入れてくれて、結局自分が楽になる。
あでりー:そういう考え方もあるし、自分はこれだけがんばってきたんだから、やってもらって当然だろうと思う人もいます。
A:父方の祖母は現代的な考え方の人で、一人で夜の銀座を平気で歩いてたりして、死ぬ時は家で看取られるより病院でぽっくり死にたいっていう考えの人でした。年寄りを敬えみたいなことは全然なくて、年取ったら若い人に面倒をみてもらわないと何もできないわけだから、別に敬われなくてもいいし、こちらからお世話になりますくらいじゃないと、という感じ。
春名:そういう人のほうが、結局自分も得している気がします。周りに大事にされるし。
A:意外とみんなに好かれてましたね。妹がその祖母のこと大好きで、亡くなった時にいちばん泣いてました。近代的な祖母でしたから、私も話していて楽しかったです。あの時代にしたら風変わりな人でした。父が肺結核で肺の一部を取ることになって、命に関わる大事なことなのに、いろいろ説明を聞いた上で、「あ、それなら取っちゃってください」とさらりと言って、先生のほうがびっくりしてました。でもおかげで父はその後も元気にしています。
あでりー:今回、家族がテーマということで、聞いてみたいと思っていたことがあります。うちはトラブルがなさすぎる家庭で、周りから見たらいいねと言われるんだけど、大切なことが欠けてるところがあって、それは「真剣な話し合いをしない」ということでした。父と母の間では話していたと思いますが、家族みんなで集まって真剣に何かを語るとか決めるということはなかったです。そういうことがある家庭のほうが子供も自立心を持てるし、考える力もつくからいいと思うんですけど、どうですか?
A:家族全員で会議、というのはなかった気がします。私と父母、姉と父母、という感じで個々ではあったかもしれないですけど。けっこう私は自分で決めて事後報告が多かったです。最終的に親に何か言われても関係なく、決めてました。会社辞めると決めたら辞める、オーストラリアに行くと決めたら行く。
春名:Aさんは親から、こうしなさいああしなさい、と一方的に言われ続けていたからかもしれないですね。
A:姉はその点、いい子にしていたから、親からもいい子に見えたでしょうね。私は反抗的で、妹はその両方を見てうまくやってました。
春名:お姉さんはいろいろ抑圧していて、抑圧していることに自分も気づいてないかもしれなくて、自分はいい子で、いい親に恵まれたと思っているかもしれませんね。それが悲劇だともいえます。
A:だから私と住んだ時に本性が現れたのかも。母にそれを言っても信じてもらえなくて、「お姉ちゃんがそんなことするはずない、あなたがやってるんでしょ」みたいに言われました。
春名:親から良く見られたいというのは誰にでもあることですが、自分を取り繕ってでもいい子だと思われたい、となると、自分の人生めちゃくちゃになっちゃいます。
A:私はそれをあきらめちゃいました。親から認められなくても世間で認められればいいと。
あでりー:精神的な問題を整理できているということですね。
春名:それができないと、本当に辛い人生になると思います。
A:親の意見もとりあえず聞くには聞きますが、「いやそれは違う」と返したり。
春名:僕の家も、あらたまって家族会議というのはなかったです。僕も18歳で家を出たから、もう少し大きくなるまで同居してたらあったかもしれません。
A:家族会議といえば、父がC型肝炎になって話をした時くらいかな。あでりーさんは、友達から頻繁に家族会議をした話とか、聞きました?
あでりー:そういった話を普段はしないので、どうなんだろうと今回、聞いてみました。前に姉と二人で大事な話をしていた時に、「うちにはこういうこと(家族会議)が欠けてたよね」と話したことがあったんです。
春名:僕は、大事なことほど、自分一人で決めてました。結婚したあとも、夫婦に関することは二人で決めるけれど、自分自身のことは一人で決めて事後報告です。
A:それは、事後報告であでりーさんが、「なんでそれをやる前に言ってくれなかったの?」と言わないことをわかってるからじゃないでしょうか?
春名:まあそうですね。もちろん、妻に関係することなら話しますけど。
A:私も、むしろ相談したほうがいいんじゃないのってことも一人で決めたりします。やりすぎて暴走しているところもあるのかなあ。
春名:それでいいと思いますよ。
あでりー:話しても反対されるだろうなということは、一人で決めちゃうと思います。
A:妹からは、私が勝手に結婚して勝手に離婚して事後報告しそう、なんて言われてます。だから私は、「あなたも好きにすればいいじゃない」と返すと、「いろいろしがらみがあるの」と言われます。
春名:僕は、家から出られない女性というのをけっこう見てきた気がします。結婚するにしても隣の家とか同じ町内とか、なにか縛り付けられてる気がします。
あでりー:お互いに、WIN-WINなんじゃないかな。親は土地を遊ばせていて、子供はそれで住宅費がかからないし。
春名:そういう家族は自分達のことを幸せだと思ってるけど、果たしてそうかなと思います。子供が親に合わせて、親の顔色ばっかり見て生きていくことになります。
A:親に反対されたら、「うちの親、これ反対してるんだ、ごめんね」と言いそうですね。
春名:僕は就職してすぐに車を買ったんですけど、それを同僚の女性に話したら、「親は賛成してくれたの?」と聞かれました。別にそんなこと親には何も言ってないし、そう答えたら不思議そうにしてました。その女性は、車を買うことも親と相談しないと駄目、という感じでした。そうやって、何をするにもまず親が許可しないとできないという人はいるみたいです。だからたぶんそういう人は、結婚する時も親が許してくれなければ、結婚しないんでしょうね。
A:そのケース、私の後輩でありました。男性なんですけど、彼女の親が許してくれなくて結婚をとりやめたんです。実家が政治家だったり警察関係だったり先生と呼ばれる人だったりすると、反対されるケースもありますね。
春名:親が興信所を使って相手を調べることもありますね。知り合いでも、自分の娘がトラック運転手と結婚しようとしていたのを、裏から手を回して別れさせたという人がいて、「ようやく別れてくれた」みたいな話をその人から聞かされて、驚いたことがあります。おそらくその人にすれば、それが愛情だと思ってやってるんでしょうね。
 それでも、親が駄目というから結婚できない、という人と結婚しなくて良かったとも思います。だって、その後もぜんぶその調子で親に干渉され続けるわけですから。
A:子供が生まれて、男の子じゃなかったら怒られる、とか考えられますね。
春名:僕は結婚は個人と個人のものだと思うけど、家族と家族の問題と思う人はまだまだいるんでしょうね。だから家族のことも調べないといけないという。それから夫婦別姓についても、僕が不思議なのが、今度の改正が「夫婦別姓にしなければいけない」ということなら、同姓にしたい人が反対するのはわかるけど、「同姓と別姓のどちらでもよい」という改正だから、何を反対する理由があるのかわからない。つまり反対する人は、ぜんぜん知らない人が結婚する時に別姓にするのに反対、ということでしょう。「あなたは関係ないのになんで?」と思います。
A:仕事で別姓にしたい人もいますよね。普段は旧姓で通しているのに書類を書く時には結婚後の姓を書かないといけないとか、めんどうですよね。
春名:別姓にすると家族の絆が壊れるとか言うけど、同姓で絆が壊れている家族もいっぱいありますよ。
A:事実婚もあまりいいイメージはないですね。最近また増えているみたいですけど。同性婚も今は事実婚しかできなくて、海外で結婚式を挙げたり。
春名:でも日本に国籍があれば日本の法律に従わないといけなくなります。ところでAさんは、ご両親は健在なんですか。
A:はい。仲が悪いわけではないので、最近は二人で旅行に行ったり、姪の面倒をみたり。姪からすれば、両親と、優しい祖父母と、おばが二人、という家族に映ってるでしょうね。
春名:姪御さんにとってはいい家族なんでしょうね。僕は、姉とはぜんぜん会ってなくて、姉は兵庫で結婚して住んでいるので、前は4~5年に一回とか、10年ほど会わなかった時期もあったかもしれません。
A:異性の姉弟だとそういうケースは多いと聞きますね。
春名:実家にみんなが集まる習慣もなかったし、会おうと思えば会えたんですけど、会おうとも思わなかったです。でも、2年前に亡くなった父親が最初に入院した頃から頻繁に会うことになって、さっきの家族会議の話で言うと、父親を入院させるか引き取るか、など大事な判断をするのに話し合うようになって、そこで家族の関係が変わりました。それまでも仲が悪いわけじゃなかったですが、頻繁に連絡を取り合うようになりました。それが父親が亡くなったあとも続いていて、僕らが帰省するたびに会うようになりました。妻のことも気に入ってくれているので。
A:子供の成長も関係しているかもしれないですね。子供が手のかかる時期だとかかりきりになるし。
春名:妻のほうは、正月に親戚一同が集まる習慣で、岡崎の家に2人のおじ夫婦とその子供達、妻と、妻の姉夫婦と子供達が集まってましたね。男は酒を飲んで、女が料理や酒の準備をする、というような感じでした。
A:うちもお葬式はそんな感じでした。みんな集まるんですけどやっぱり女性が働いてました。妹も同じようにしていたので私もお茶の用意をしてたんですが、私と年の近い子がそのお茶が出てくるのを待っていて、「待ってるんだったら自分でやれば」と思って。それで、私が率先して動かないと、「あの子、女のくせに気が利かない」って言われたり。
春名:僕はあの、気が利く気が利かないという言葉が大嫌いで、気が利くというのはいいことのように思われるけど、それは自分で動きたくない人が、いろいろやってくれる便利な人を称して「気が利く」と言っているだけですよね。僕が就職した頃は、会社でも女性がお茶くみをすることは当たり前にありました。
A:今はそんなことがあると、パワハラだセクハラだと非難ごうごうですね。
春名:でしょうね。ただパワハラやセクハラも、規制しすぎるとそれはそれで厄介ですけどね。なんでもパワハラセクハラになっちゃって、それで悩む人もいます。
A:上司の人から、「いまの言い方、セクハラになってない?」って聞かれたりですね。
春名:さっきと同様、そうやって気にする人は大丈夫だと僕は思います。気にするぐらい考えてるわけですから。むかし、会社のコンプライアンスで働いた人から、やられた方がセクハラだと言えばセクハラになるから気をつけて、と言われたことがあります。
A:うちの姉の働いていたところは厳しくて、部署と名前と、どういうことをしたのかが張り出されるらしいです。
春名:もちろん体を触ったっていうのは駄目ですけど、言葉で言われたということで張り紙をされるのは厳しいですね。
A:そうなると、女性もめんどくさいですね。でも姉は、嫌いな人に服を褒められたりしたらセクハラだと思うよって。それで、仲のいい人から同じことを言われたら「ありがとう」ってなる。
春名:関係性の違いはありますよね。
A:そうですね。
春名:Aさんのご両親との関係も、どちらかに病気や介護の問題が出てくると、変わってくるでしょうね。
A:介護が必要になったら、私は施設に入れちゃいますね。私が自分で介護したら、ぜったい親のことを恨んで、亡くなったら「やっと死んでくれた」みたいにきっと思うから、そうなるんだったらもう任せちゃおうと。身内だったら言いたい放題になるけど、他人同士ならそんな風にならないでしょうから。
春名:親子だと、言わなくていいことまで言っちゃいますからね。これまでの積み重ねもあるし。
A:そうなったら絶対、他人に任せようと思います。プロの介護士が、淡々と間違いなくやってくれれば、素人の私がやるよりよほどいいと思います。
春名:お互いにそのほうがいいことがありますね。昔は養老院とか、入院するだけで何百万とか聞きましたが、今は安い施設もたくさんあります。うちの父親が最後に退院したあと、母親は「自分が一人で介護するのは絶対むり」と言っていて、いろいろ施設を探してたんですが、間際になって母親が自分でやると言いました。でもそれは人それぞれだと思います。よくあるのが、老老介護になって共倒れになるケースで、それは誰も望みませんから。
A:やっちゃいけないと思ってます。うちの父親は、家族にみてもらうつもりはない、もしそうなったらすぐに施設に入れてくれと言ってます。
春名:そういう時にまた他の親戚が、「家族がみてあげないと」「施設に入れたほうがいいよ」とかいろいろ言う人がいますが、それはいちばん近い家族が決めればいいと思います。自宅介護も、今は介護サービスが充実してきたので、昔よりはやりやすくなったと思います。ただそれでも大変は大変ですけど。うちの母親は結局、二ヶ月ほどそうしたサービスを利用しながら父と二人で過ごして、最後はギリギリで、もう少し長引いたら難しかったと思います。