~ 本場のティータイムを、岡崎で ~
イベント開催報告
◆2025.3.8 Keswick旅行会
 〈心に残るあの場所あの景色 特集!〉
今回は、「心に残るあの場所あの景色 特集!」ということで、国内国外を問わず、様々な場所のお話が飛び交いました。各地での伝統芸能、見たこともないような景色、そして旅先で食べた美味しいものの話題で、大いに盛り上がりました。
【それぞれの旅のお話】
まずは読書会等にもご参加いただいている、Nさん「フリーランスで情報誌の編集長をしていましたので、仕事や私用で北から南まで日本中いろんなところを旅しました。海外だと、最初に行ったのはソ連です。1990年だから、崩壊する1年前ですね。ウクライナあたりは町並みが落ち着いていて、日本の京都みたいでした」
次に、各種イベントにご参加いただいている、Tさん「ある程度の年齢になってから、旅行に行くようになりました。最初はドイツのロマンチック街道とパリを安いツアーで回り、次がイタリアで、ベニスから入ってフィレンツェ、ローマに行きました。やっぱりヨーロッパはいいですね」
次に、副店長の春名「独身だった1990年代から2000年代初頭までは、1年に一度くらいは海外に行っていました。動物が好きなので、サファリでアフリカに行ったり、ペンギンを見るためパタゴニアやフォークランドに行ったりしました。カナダにオーロラを見に行ったこともあります。結婚してからは、イギリス、ドイツ、イタリア、ニュージーランドに出かけました」
Nさん「僕はまず、国内の北の端からお話ししますね。まずは利尻島、礼文島で、稚内から船で渡りました。アイヌの人の宿に泊まったり、バスホテルという、バスの車内に泊まったりしました。礼文島は地形が全体的に平坦で驚きました。日本列島ができる際の違いかなと思いました。
 逆に南の果ては沖縄です。二人で行ったら、タクシーの運転手から一日一万円で案内すると言われ、一人5000円だから安いと思ってお願いしました。その夜、宿で沖縄の人にその話をしたら、『それはぼられたね。普通は8000円だよ』と言われて驚きました。それから、Aサインというものを見たんですが、かつて米軍統治下だった頃に、この店の女性は性病検査を受けているという印だったんですね。10年前くらいの話ですが、まだ米軍相手で暮らしている人がいたんでしょうね」
店長・あでりー「私は30年前くらいに沖縄に行きましたが、Aサインのことは知りませんでした。ただ、向こうの友達も米軍に土地を貸しているか何かで、そこからの利益はあると言ってました」
Nさん「あまり声には出さないけれど、米軍に出ていかれたら困る人もいるんでしょう」
Tさん「私は石垣島に二回、行きました。昔、超割という安く行ける方法があって、チケットを取るのが大変でしたが、なんとか二回取りました」
Nさん「北に戻ると、次は青森の下北半島です。津軽三味線を聞いたんですが、高橋竹山が別格でしたね。昔から火山灰で目を悪くする人が多くて、男性は三味線弾き、女性はイタコとして生計を立てるケースが多かったんです。恐山では、川に血が流れているという場所に行きましたが、要するに火山質で赤くなってるんですね」
Tさん「恐山は、なんとなく怖くて行ってないです」
Nさん「タクシーで仏ヶ浦に行ったら、漁師がウニを獲っていて、それをもらって生で食べました。臭みが全く無くて海水で塩みがあって、今まで食べたウニでいちばん美味しかったです。
 それからずっと南に下って、長野県の地獄谷温泉。猿が入ることで有名ですが、露天風呂に浸かっていると、普通に猿が入ってきました」
Tさん「私は、露天風呂まで行かずに近くの温泉施設で入ったことがあります」
Nさん「長野だと伊那谷にも行きました。土砂災害があり、町興しで地歌舞伎という地方歌舞伎に力を入れているんです。歌舞伎は豊作の祈りでもあって、お寺で開催したりします。お寺の芝で見るから、『芝居』というんですね。後藤敏男という映画監督が地歌舞伎をテーマにした「Beauty うつくしいもの」という映画を撮ったんですが、その人と一緒に地歌舞伎を見たり、撮影現場に同行したりしました」
Tさん「私は長野で、『こまどりの湯』という温泉に行きました。日帰りのつもりで行って、お湯に浸かって他の人と話していたら、『おきよめの湯』がいいと聞いて、急きょ素泊まりの宿を見つけて泊まりました。それで『おきよめの湯』まで行くと、今度は『かぐらの湯』がいいと聞き、またそこへ行ったんですが、遅くなったので泊まることにしました。宿の名前は忘れましたが、道路からややこしい道を入って少し開けたところにありました。日帰りのつもりが二泊になって、おもしろかったです。
 さっきお話しした、石垣島もよかったです。おおらかで、そこにいる野良犬までのんびりしている感じ。食事も少し味が違っていて、異国に来たような気になりました。岡崎の姉妹都市ですし、気に入ったので私は2回、夫は5回くらい行きました。石垣島から船で2時間ほどかけて、西表島にも行きました。小さな観光バスに乗って、日本最西端の温泉にも入りました。
 青春18切符で、下部温泉にも行きました。途中で足を捻挫して、大丈夫かなと思って行ったら途中で腫れてきてしまい、ひやひやものでした」
あでりー「私からは、北海道のオンネトーをご紹介します。阿寒湖の近くにあるマイナーな場所で、行く途中で水芭蕉が見られます。静寂に包まれた小さな湖で、昔から私の中にある〈きれいな場所〉というイメージにぴったりの場所でした。人も来ないし、そばにある山を登ったら景色も見渡せます。心に残る景色というと、そこが思い浮かびます」
春名「湖は小さいですけど、青緑色がすごくきれいでしたね」
Tさん「景色でいうと、八島湿原もよかったです。美ヶ原高原のそばで、車で行きにくいんですけど」
春名「僕からは、フォークランドに行った話をしますね。ルートとしては、日本を出て、ロサンゼルスで飛行機を乗り換え、ペルーを経てサンチアゴに入ります。そこでランチリ航空という国内航空で世界最南端の町プンタ・アレーナスに入り、さらにセスナのような小さな飛行機でようやくフォークランドに到着します。全部で43時間くらいかかる行程です。
(以下、アルバムをお見せしながらお話ししました)
 一番の目的は、野生のペンギンを見ることでした。野生の動物って、本当にきれいなんですよ。人懐こい種類だと、すぐそばまで来てくれます。ペンギンの他にも、体長4~5mのゾウアザラシがいたり、アシカの種類で凶暴なオタリアなんかもいました」
Nさん「これは貴重な写真だから、写真展ができますよ。これを見た人は、ペンギンが撮ったんだと思うんじゃないかな(笑)」
Tさん「どういうところに泊まるんですか」
春名「シーライオン島という小島だと、一つだけある宿泊施設に泊まりました。けっこう高額で、ちゃんとした宿でした。島では、滞在する人間が数人で、ペンギンは何千羽、という環境でした」
Tさん「写真から、ペンギン愛を感じますね」
春名「いつか、今度は妻と二人で行きたいと思っています」
Nさん「僕からは、先ほどの続きをお話しします。長野の大鹿村ですが、お寺で地歌舞伎を見せるんです」
あでりー「障子がきれいで、奥行きがすごいですね」
Nさん「歌舞伎には祈りの意味合いもあったので、場所がお寺になるんですね」
Tさん「私はその近くにある青崩峠まで行ったことがあります。道路の左右が崖のようなところで、冷や汗もので帰ってきました」
Nさん「その次は、美濃です。一年に一度、美濃和紙で灯りを作って灯すんです。『うだつ』という、防火目的で屋根の両端を高くしている作りが有名で、『うだつの上がる町並み』と呼ばれています。すごくきれいな町で、こういうところは酒も美味しいですね。
 その次は静岡で、清水港の魚市場です。朝市で食べたマグロの中落ち丼は、骨の味が染み込んですごく美味しいんです。それからさらに南に下って、四国の松山は道後温泉。坊っちゃん列車とか坊っちゃんバスとか、坊っちゃんで食べてる町ですね。遊郭の名残があったり、屋根とか壁が昔の雰囲気を残していて、いいんですよ」
あでりー「私たちも去年の9月、大塚美術館目当てで徳島に行きました。番茶が発酵茶で、後で調べたら、四国には三つの発酵茶があるらしいです。四国は独特の文化がある気がしますね」
Nさん「最後は福岡です。かつて『イエスの方舟』という集団を主宰した千石氏が、福岡に移ってスナックを開いたんですが、そこに行きました。千石氏は『おっちゃん』と呼ばれて慕われていて、僕もそこでカラオケをしました。それから、寿司屋に入ってお勧めを聞いたら、関サバの刺し身ということで、食べたらすごく美味しかった。というわけで、全国で食べたもののうち、下北のウニ、清水港の中落ち丼、そして福岡の関サバが僕のベスト3です」
Tさん「関サバは、岡崎で一度だけ買って食べました。高かったけど、美味しかったです。九州だと、たまたま知り合った人から誘われて、佐賀に行きました。嬉野温泉の大正屋という宿に泊まったら、すごく立派なところでした。名物の『呼子のイカ』は、人間が手で触ると火傷をしてしまうから、漁師さんも触らないようにして持ってくるんです。生モノはあまり得意じゃなかったのに、美味しいからぺろっと食べちゃいました」
Nさん「佐賀もいいですねえ。僕は佐賀の川をイカダで下りました。それも映画になっています」
Tさん「むかし、修学旅行で奥日光に行ったんですが、それが懐かしくて会社に入ってからも一度行きました。ちょうど紅葉が始まる時期で、二泊する間に景色がどんどん変わっていくのがすごく良かったです。でも、バスを逃してしまって歩くことになり、一緒に行った友達がヒールの靴を履いていて、大変でした」
春名「僕は長野で、松原湖のほとりにあるファミリーロッジ宮本屋という宿に2回、泊まったことがあります。夏には湖を歩くとカッコーがきれいな声で鳴いていて、冬に行った時にはワカサギ釣りをしました。テントとか防寒具、穴を掘る器具とかを貸してもらって、釣り方も教えてもらって、朝7時くらいの寒い時にやったんです。結果として釣れはしなかったんですが、面白い体験でした。宿の料理も、輪切りにした鯉の煮付けや、周辺でとれた山菜や珍しいきのこを出してくれて、すべてが美味しかったです。オプションで山菜採りや周辺観光にも連れていってくれて、山中の渓流で野生のクレソンを採りました。クレソンが水草みたいに低い位置に生えているのが面白かったです」
Nさん「食べて美味しかった記憶でいうと、岐阜で食べたツグミです。今は禁止されていますが、かつて山間部では貴重なタンパク源として食べられていました」
春名「アフリカに行った時に、いろんな動物を食べられる店に行って、シマウマ、キリン、ワニ、インパラとかの肉を食べました。けっこう固い肉が多かったですが、ワニが比較的おいしかったです」
Tさん「オーストラリアのケアンズでも、ワニとかカンガルーは食べましたが、私は苦手でした。それで、シーフードを食べようとすると、現地の人が、嫌悪感のような変な顔をするんです。理由はわからないんですが。
 ケアンズでは、カジノに行きました。食事場所のそばにあったので、毎日、金額を決めて遊んでいました。私は駄目でしたが、夫が一万円くらい儲けて、それで翌日、気球に乗るオプションツアーに行けました。砂漠のようなところを気球は好きなところに飛んでいって、車がそれを追いかけるんです。それで果樹園とか人の庭とかに降りて、客が気球を畳むのを手伝わされるんです。おもしろかったですね。でも最後の日に調子に乗ってカジノで数万円を賭けたら、ぜんぶなくなりました」
春名「僕はアフリカの写真を持ってきたのでお見せしますね。2回行ってるんですが、最初に行った1994年のほうです。
(以下、アルバムをお見せしながらお話ししました)
 初日に調子に乗ってプールで泳いだら風邪を引いて、体調を崩しながらの旅になりました。アンボセリ国立公園はキリマンジャロ山のふもとで、湿地を沈みながら歩く象なんかが見られました。動物好きだから、もう楽しくて仕方なかったです。ナクル湖では、何十万羽というフラミンゴがいて、湖面がピンク色に染まるんです。その光景が忘れられません。マサイマラというケニアで一番有名な保護区では、ライオンを見ました。このあと9年後にまた行くんですが、ケニアとタンザニアを4週間かけて巡りました」
Tさん「向こうは暑いんですか?」
春名「サファリをする場所は暑いんですが、ナイロビは高地にあるので、割と過ごしやすいです。そういえばタンザニアに行った時、ツェツェバエというハエが刺してくるのが厄介でした。眠り病を発症するハエなので、なるべく刺されないように気をつけていたんですが、あとで服を脱いでみると何カ所も刺されていて、心配になりました。
 宿は一泊600円くらいのホテルだったり、サファリ中はテント泊だったりして、トイレも穴が開いているだけったり、なかなかワイルドな旅になりました」
Nさん「インドやスリランカも、宿は300~500円くらいで、日本は特別に高いと思いました」
春名「インドはそうやって暮らしていけるから、若者がたむろしてしまうんですね。それで結局、ドラッグをやってたりします」
Tさん「むかし、大沢たかおさんの『深夜特急』というドラマがありましたよね」
春名「ありましたね。僕もあのドラマを見て、インドに行きたいと思いました」
Nさん「インド人気は、ビートルズの影響もありましたね。ジョン・レノンがインドでマリファナを吸うと想像力を開放してくれて曲が作れるんだと言っていて、日本からもバックパッカーがこぞって出かけました」
Tさん「知り合いでも、ちょっと仕事をしては、辞めて旅行に行く、というのを繰り返す人もいます」