~ 本場のティータイムを、岡崎で ~
イベント開催報告
◆2025.3.30 Keswickテーマトーク
 〈コロナ禍を振り返る〉
今回のテーマは、「コロナ禍を振り返る」です。3年以上に渡り世界を混乱に陥れたコロナ禍を、皆様はどう過ごし、どう感じてこられたのか、思いのままに語り合いました。
【まとめ】
やはり皆さん、いろんな苦労を抱えてコロナ禍を過ごされたようで、湧き出るように話が尽きませんでした。自営業者は収入に直結し、すぐに生活が立ち行かなくなるので切実な問題だったのに対し、サラリーマンだと在宅勤務になる程度で収入に影響がなく、捉え方は違ってきます。また、医療関係の仕事では厳しい制限が課せられることもあったり、家族環境によっても様々なケースがありました。いっぽう、娘さんのオンライン授業を一緒に受講して勉強ができたり、無駄な会合がなくなったりなど、コロナのおかげで得られたものがあったお話なども、興味深くお聞きすることができました。
【詳細なご報告】
※以下は、参加者さんの発言そのものではなく、要約・編集したものを会話風にまとめたものです。
まずは副店長の春名から「コロナで大打撃を受けた人は多いと思いますが、僕もその一人です。ペットシッターは旅行や出張に行く人の代わりにペットをお世話する仕事なので、旅行も出張もなくなったら出番がなくなり、収入がほぼゼロになりました」
イベント常連参加のUHさん「そのあたり、サラリーマンはまだ良かったです」
イベント2回目参加のUKさん「売上は激減ですが、別に自分が困るわけじゃないですから」
店長・あでりー「自営業だとほんと、地獄ですよね」
春名「サラリーマンの給料がほぼゼロになったらどうします、という話なんですよね。当時は旅行に行くなとかさんざん言われましたが、『旅行に行く人=悪』となってしまうことを、すごく苦々しく思っていました」
UKさん「私はサラリーマンで、会社からノートPCを与えられて在宅勤務をしていました。営業職は会社に行かず、伝票処理をする人だけ出社する状況でした。あの時に、 意外と営業って会社に行かなくてもいいんだとわかりました。会社の売上は落ちましたが、給料が減るわけではないので、楽といえば楽でした」
春名「今はもう回復しました?」
UKさん「まだ売上は回復していません。コロナで物不足の時に、お客さんが何年分もの受注をしたので、今はまだ次の注文が来ていない状況です」

春名「UHさんはどうでした?」
UHさん「私は本当に最悪でしたし、いまだに尾を引いています。私は自営の学習塾講師で、コロナの時にオンライン化が進んで、今はそちらに流れたい放題です。オンラインだと一方通行になるから嫌だという人もいますが、オンラインに行った人はもう帰ってこないです。私にとってはコロナが仕事の転換期になりました」
春名「それまでは、教室で教えてらっしゃったんですか?」
UHさん「はい、今もそのスタイルは変わっていません。でも新しく入る人は少なくなり、V字回復では全然なく、J字くらいです。それでも私はまだいい方らしいですが。
 契約している会社も、オンラインのノウハウは何もなくて、苦労して講師同士で接続しあって練習していました。教室も休学はせず、保健所の規定をよく確認して、濃厚接触者にならないよう寒いのに窓を全開にしてコートを着てやってました。それでも生徒さんはどんどん辞めていきました。オンラインの場合でも、接続できないトラブル等でクレームをつけられて、私達もオンラインのプロではないから対処できず、落ち込みました」
春名「僕の場合だと、持続化支援金や家賃補助、健康保険料の一年無料化など、もらえる補償はほぼぜんぶもらえました。それでも完全ではなくて、妻が働いていたのでなんとかなりました」
UHさん「私も夫の給料があったのでなんとかなりましたが、大変でした。娘たちが私立の高校と大学に通っていて、お金のかかる時でしたので。けっきょく学習塾って、“必須”ではないんですよね。いろんな習い事の中でも優先順位は低いので、コロナのときは『やむを得ず辞めます』という人がすごく多かったです」
春名「生徒さんもコロナで収入が減っていますしね。また、オンラインが主流になると、全国どころか世界中がライバルになるわけで、近所だから通ってたという理由が通用しなくなるので厳しいですね」
UHさん「うちの教室も、母体の会社が早々にオンライン専用の部署を作ってしまって、そのために今、いろいろと交渉をしている最中です」
春名「まだまだコロナの影響が続いてるんですね。オンラインというと、僕は当時Zoomで読書会を開催していて、お店での読書会とほぼ同じようなことをしていたんですが、楽しさがぜんぜん違いました。やはりオフラインで集まって開催するのが大事だと思いましたが、学習塾でも同じことが言える気がします」
UHさん「そうなんです。生徒さんの中には、『先生のところでやってて良かった』と言ってくれる人もいましたし、そういう方たちを相手に続けていければ良かったんですが、そう上手くはいかないですね」
春名「生徒さんが引っ越ししても、オンラインなら同じ先生に教えてもらえるとか、オンラインなりの良さはあるのでしょうが、難しいですね」

あでりー「私は医療関係の仕事に近い立場だったので、コロナの時期は本当に大変でした。日々、政府の対応が変わっていくので、常に情報収集して、施設内に周知徹底させなきゃいけない。うちの施設では岡崎市民病院が一つの基準になっていたんです。国の指針に加えて現場の判断も加味して、実際に自分たちの施設で何ができるのかを考えながら、対応を更新していきました」
春名「全てが手探りでしたから、市民病院を基準にするのも、流れで決まっていったんでしょうね」
あでりー「うちは高齢者が通う施設だったので、皆さん基礎疾患を持っていて、誰が運んでくるかわからないという、感染の恐怖はものすごく大きかったんです。濃厚接触が避けられないので、怖いと感じる利用者さんがいて、数ヶ月お休みされることもありました。そうなると二次被害が出てくるんです。体を動かさない期間が続けば体の機能が落ちてしまうし、ご家族にも負担がかかります。例えば、お昼ご飯や飲み物も家族が用意しなきゃいけない。ご家族も自分の時間が取れず、ずっと一緒にいなきゃいけないストレスが出てきて、家庭内もぎくしゃくします。『通えない』というたった一つの変化が、利用者さん家族の生活すべてに影響してくるんです」
春名「通所をやめた人はどれくらいいたんですか?」
あでりー「数人で済んだので、うちはまだよかったんです。利用者さんの中でもコロナに関する考え方に個人差がすごくあって、まったく気にしない人もいれば、極端に気にする人もいて、『あの人マスクしてない』『あの人が咳をした』とか言う人もいました。でも認知症でコロナも何もわからない人もいますし、ご飯中の会話も禁止されていたんですが、おしゃべりも楽しみの一つなので、どうしても喋ってしまうと、『あそこで喋ってる』と注意されるんです」
UHさん「ありましたよね、マスク警察とか」
春名「自分が我慢しているぶん、誰かがルールを守ってないと、その人に不満や怒りが集中しますね。濃厚接触者になれば家族の仕事や子供の登校に支障が出たりして、家族関係がぎくしゃくした話もよく聞きました。各地の感染状況を新聞で発表して最初は重宝がられていたのが、どんどん晒し者になるからやめてしまったこともありました。とにかく誰にとっても初めての経験だったので、保健所も含め、何が正しいのかがわからない。本当はちょうどいい対処をすべきなんでしょうが、『全て駄目』という極端で大袈裟な対処をするしかなかったのでしょう」

春名「コロナ禍がいつ終わるかわからない、というのもきつかったですね。2020年3月頃は1ヶ月くらいで終わるかなと思っていたのに、ゴールデンウィークが終わっても収まらず、どんどん状況は悪化していって、ずっと続いてどんどんひどくなっていったのが、本当に辛かったです。UHさんの娘さんは、大学が長い期間休校になったんですよね」
UHさん「そうですね。すぐにオンライン授業が始まりました。ただ、うちの娘や私にとっては、すごくありがたかったんです。娘は人混みがあまり得意じゃなくて、自宅で落ち着いて勉強できる環境が合っていたんですね。しかも、私の興味がある分野だったので、一緒に講義を受けることもできて、一年間、娘と一緒にたくさん勉強できました。
 息子が通っていた中学校では、修学旅行が海外ではなくなりました。卒業式も、保護者は一人しか入場できず、校歌も歌ってはいけない状況でした。専門学校に入学してすぐ、東京での研修が予定されていたんですが、それも中止になり、その代わりに学校がリクルートスーツを支給してくれました。ただ、楽しみにしていたアメリカへの海外留学もなくなり、オンラインになりました」
春名「僕が個人的に一番辛かったのは、『いつまで海外旅行に行けないんだろう、もしかしたらこのまま10年ぐらいどこにも行けないんじゃないか』という不安でした。これからいろいろな場所に妻と一緒に行きたいと思っていた時期だったので。でも2023年にニュージーランドに行けて、この6月には台湾に行ってきます」
UHさん「私は娘二人と一緒に、5月に韓国へ行ってきます。やっと堂々と行ける時期になったと感じています」

春名「父親が2021年の秋に体調を崩して、最終的には2022年の8月に亡くなったんですが、その間も病院での面会ができなかったり、すごく大変でした。最初に入院した際、看護師さんが配慮してくれて偶然を装って会わせてくれて、母親も本当に喜んでいました。その後に転院した病院では、家族のうち決まった二人しか面会できず、しかも週に何回までという制限がありました。私はそこには含まれていなかったので、ほとんど会えないままになってしまいました。そうやって面会ができず、亡くなる間際にも会えないままということで辛い思いをされた人は多かったと思います」
あでりー「人間は知らないものを恐れるって、こういうことなんだなと思いました」
UKさん「お二人は、コロナにはかかったんですか?」
春名「はい、2022年の12月に、僕が先に感染して、妻に移してしまいました」
あでりー「その頃は、医療関係の友人や他の知り合いからも、かかったという連絡がたくさん来ていました。ある友人は新婚旅行を延期していたのですが、今ならいいかと北海道に行ったら現地で感染していた、なんて話もありました」
春名「当時、一人になった母の手伝いで兵庫の実家に行く予定だったのが、僕の体調が悪くなって、先に妻だけ行ってもらったんです。そしたら向こうで妻が発症して、続いて母親も調子が悪くなりました。けっきょく僕から妻に感染して、妻から母親に感染したようです。全員、それほど重くはならずに済みましたが」
UKさん「みんな一回ずつくらいは感染していますね」
春名「インフルエンザみたいなもので、それが普通でいいと思うんですよ。インフルエンザだって、年間1,000万人が罹患して、1万人くらい亡くなるんですよ」
UHさん「義母もかかりましたが、薬も病院も怖がって何もせずに自然治癒しました。ただ、しばらく経ってから『ヤクルトの味が薄い』と言い始めて、それが後遺症でした。味覚症状って、けっこう出るんですよ。分かりやすいのが、ヤクルトとハッピーターン。この二つの味が変に感じた人が多かったです」
春名「コーヒーの味が分からなくなった人もいました」

UHさん「この先どうなるんでしょうね。インフルエンザと同じになっていくんでしょうか?」
あでりー「そうなると思いますよ。ただ、また次のウイルスも絶対出てくるでしょう」
春名「アメリカが作った細菌兵器だ、と本当のことのように言う人もいました」
UHさん「いろんな陰謀論も出てきますよね」
春名「僕のペットシッターの仕事では、事前に『一週間後から行きます』などと約束してペットの世話を引き受けるんですが、もしその間にコロナになったらどうしよう、とずっと不安でした。結局、杞憂に終わりましたが」
UHさん「本当に、『鬼の自営業』だとあの時実感しました」
春名「自営業は自由ですが、そのぶん自己責任も重いです」
UHさん「コロナを機に、私は通っていたレッスンをやめました。ずっと続けていたグループレッスンで、名古屋まで通っていたんです。こんな時期に名古屋に行くなんて、と言われることもあって。実際、それで関係が切れてしまった人もいます。逆に、そんな中でもつながっている人たちは、本当に信頼できる友達なんだと思いました。人間関係も、いろいろ見直す機会になりましたね。
 楽団のグループも、飛沫の問題があるので、一年か二年くらいお休みしました。今は再開しましたが、みんなで集まって大きく盛り上がるようなことはまだできていないんです」
あでりー「関わっている仕事にもよりますよね。施設系の仕事をしてる人たちは、感染リスクがある場所に行くのはまだためらいがあるようです。知り合いは、いまだに犯罪者扱いされてるような気がすると言っていました。
 コロナ真っ只中の時は、病院関係の人たちは県外に出るなとよく言われてました。うちも『出るな』とまでは言われなかったですが、『なるべく出ないで』というゆるやかな規制があり、個人判断に任されていました。夫の実家の兵庫に帰省する時も、嫌がる人はいるので、お土産は買わなくていいから、とこっそり言われたこともありました」
春名「県外に出るなという話でも、県境あたりの人は、すぐ近くにある隣の県は駄目だけど、同じ県の反対のほうはかなり遠いのにOKという矛盾がありました」
あでりー「私は名古屋の友達に会いに行く時でも、職場には絶対言いませんでした。今でも、電車の中ではマスクはパフォーマンス的に着けています。
 また、ある医療従事者の方がお子さんを連れて公園に遊びに行ったら、そこにいた他の保護者から、『あなたは病院で働いているから、コロナに感染してるかもしれない。だから公園に来ないでください』と言われたらしいんです。そういう話を聞くと本当に辛くなります」
UHさん「私が困ったのは、『うちの子が咳してるんですけど、行ってもいいですか?』という連絡です。どうしたらいいかわからず、結局、教室側として出した方針は『講師判断ではなく、学校長か医師が判断し、そのうえでどうするかをご家庭で決めてください』ということになりました。
 もともと、講師がマスクをしていると、『うちの子をばい菌扱いした』とクレームをつける親がいたんです。でも、講師が感染すると困るので、今はみんなにマスクをつけるように促して、生徒さんやご両親にはその説明をしています。そういう仕切りがうまくなりました(笑)。
 あとは、手をつないで歌を歌うことがなくなりましたね。誰が何を触っているかわからないですし、正直、私も嫌でした。なかなか帰らない保護者の方に、『すみません、近所の目がありますので』と言えるようになったのも、ある意味コロナのおかげなので、都合よく言い訳に使わせてもらった部分もありますね。イベントも全部やめたら、すごく楽になりました。そうやっていろいろ、簡素化されましたね」
春名「新年会とか忘年会とか、コロナをきっかけにやめたら、やらなくなってラッキーという人、けっこういますよね。もともと面倒くさいと思ってた人にとっては、むしろ良かったと感じているみたいです」
UKさん「社内の飲み会も、圧倒的に減りましたよね。今ではもう若い子たちに、『飲み会あるから全員参加ね』と言いにくい時代ですから」
春名「UHさんは、今も学習塾だけでやってるんですか?」
UHさん「そうですね、ただ本当に、いつまで続けられるのか分からないですね。コロナの影響が思っていた以上に大きくて、空き教室も多いですし。それに、子ども自体が減っていますから」
春名「オンライン化ということで話すと、ペットシッターの仕事は、オンラインでは絶対に成り立たないので、それが強みです。北海道にいいペットシッターがいたとしても、その人がこちらに来られるわけではないので、グローバルな競争は起きないんです。オンラインだと逆に、遠くの人でも取り込めるメリットはあると思いますが、そう簡単な話でもないですね」
UHさん「そうですね。いきなりできるものではないですし、今は模索しているところです。スパッと『やめます』とは言えないけど、赤字にならないうちに、どこかで決断をしないといけないなと思っています。そのきっかけになったのがコロナでしたね」
春名「ペットシッターの仕事は、今は回復してきています。これまで我慢していた人たちが一気に依頼してくれるようになって、コロナ前よりも件数が増えた感じもあります
 それから、仕事によってはオンラインで十分だとわかったのは、発見でしたよね。ただ、父が入院した時、最初の面会は一度だけ許可されて会えたんですが、その後はずっとオンライン面会のみでした。でも父は80歳を過ぎていて、入院中ということもあり、画面越しに会話しても、『うん、うん』と返事はするんですが、たぶん何が起きているのかわかっていなかったと思います」
UHさん「そういう世代の人には、画面を見て話す経験がそもそもありませんしね」
春名「はい。あれで面会の代わりにはならないと感じました」
UHさん「不登校の子どもが増えたという話もよく聞きますよね。もともと学校に渋々通っていた子は、コロナをきっかけに『行かなくてもいいかも』と思ってしまった。その選択が良いか悪いかは別として、実際にそういう子は増えているようです。いま教育そのものが過渡期だと思うんです。実際、学校に行かなくてもなんとかなりますし、子どもたちもタブレットを使って、外とつながる手段を覚えてしまった。その一方で、オンラインゲームにハマってしまう子も出てきています。これはなかなか難しい問題で、今のゲームは私たちの時代のファミコンなんかとは全く違って、ゲームを通じて社会復帰する子もいるらしいんです。戦ったり協力したりしながら、ちゃんとコミュニケーションを取ってるんですよね。だから一概に、『ゲーム依存=悪』と決めつけないでほしい、という意見もあります」

UHさん「こういう感染症って、また今後も生きてるうちに来るのかなって思っちゃいますね。変な病気がまた流行るかもしれないし、今度は年取ってるから、死の危険性も高まりますし」
春名「ただ、コロナがあれだけ拡大して怖さはありましたけど、インフルエンザだって同じぐらい怖いんですよね。病気にかかったら、どんな人でも弱ってたら命に関わります」
UHさん「私は今でも、アルコール消毒の癖が抜けないんですよ。ある種の依存症じゃないかと思うくらい」
春名「父親の話に戻ると、最後の方は在宅で過ごしたんですが、最終的には病院か施設かで迷って、どちらにするか考えたときに、とにかく『自由に面会できるかどうか』が最重要事項だったんです。面会ができないと、介護する母親も辛いですから」
UKさん「コロナ初期の頃は、病院で亡くなったらそのままビニール袋に包まれて、誰にも会えないまま火葬されることもありました」
UHさん「岡江久美子さんや志村けんさんが亡くなった頃もそうでしたね。防護服を着た人に運ばれて、家族には玄関に骨だけ返されて、まだ温かい骨壺がそこにあったという話も聞きました」
春名「最後の看取りもできないのは悲しいですよ」
UHさん「実際に葬式でも、来なくていい、誰も行かない、という感じになりましたね。でも蓋を開けたら他のみんなは行っていた、ということがあったり、温度感の違いはありました」
春名「葬儀屋さんに聞いたら、今は家族葬ばかりで、多くてもせいぜい40~50人くらい。100人、200人も集まるような大きな葬式はなくなったそうです。葬儀業界も一変して、いったんこれでいいとなったら、もう戻らないんでしょうね」